エネルギー、身体、情報空間、私の思考あれこれ

学びのシェアと私と感じたことを赤裸々にかくブログ。アウトプット用です

体を整える事

昨日久々に、ユミコアをやって25分ほど、整うんだよなぁ

身体が軽いし、心もさ、なんか暗く考えないというか、

今、やりたい事やろうって感じで

あんなにめんどくさがって手をつけずにいた保育園の書類が一気に進んだし、その未来の覚悟も決まったし

悩んでたけど、大丈夫かなできるかな、とか人の目とか

気にならなくなって。

 

すごいよね。

私って体からのアプローチが結構すぐ効く感じかも。

大好きな人のインスタのアウトプットも効いたんだけどね。

外部からの刺激で、変わりやすいんだってことか。

 

あとね、森田療法

ほんと不安症とかメンタル全般かかえてる人、知ってもらいたい概念。

私ももっと意識して取り入れようと思ってます。

 

 

 

いやを受け入れて欲しかったんだ

怒りを抑圧していたんだ

我慢していたんだ

ずっとイヤ!っていいたかった

NO!っていいたかった

それをいいよって言って欲しかった

 

いや!

うん、いいよ。

って

言って欲しかった。

 

いや!

何いってんの!そんなことダメ!って

受け入れてもらえたことがないと記憶している

 

それが怒りだった、我慢だった。

 

いや!

いいよ。

 

って言って欲しかったのかぁぁぁ。

 

わかったよ、これからはいや!もいいよって言うね。

NOも、

いいよっていうね。

 

あぁありがとう。

抑圧してたものを気付けた。嬉しいし、ホッとした。

もう、嫌!

っていうの我慢しなくていいんだ。

あぁありがとう。

よかった。

もう我慢しなくていいんだ。

よかったぁぁぁぁ。

 

 

 

 

 

夢に出てきた人

私が大好きだった人だった

でも叶わないものだった、その人が告白してくれた夢

嬉しかった。

あぁまた妄想の世界へと頭が引き込まれていく。

 

いいのだけど、私の趣味なのだから、それもいいんだけど、

本当は、会いたい。

会って話したい。

 

声を聞いて、思考を知り、エネルギーを感じたい。

 

そう思う。

なんだよ

ただ愛を受け取ってほしいだけだったじゃねーかよ

 

泣くほど嬉しいんじゃねーか

愛を受け取ってもらうことが

愛を与えたいんじゃない、私の愛を受け取って欲しかったんだ

それがごちゃごちゃくっついてきてこんがらがっているだけだ

問題はひとつだった

あとはウソ

そこに気づかせないための巧妙な罠

 

世界観

私が今からもういらないから手放す価値観7つ

1.自分以外の誰かのために(子供家族含む)生きようとする価値観

2.自分以外の誰かに喜んでもらおうとしたり役に立とうとする価値観

それをして、自分がイヤじゃないか、無理してないかを基準とする

3.自分をダメな人間だと思う価値観

4.自分を責める価値観

5.不安、ネガティヴを悪とする価値観

6.完璧主義

 

私が今から持つ、大切にしたい価値観8つ

1.他人の期待に応えなくていいという価値観

2.人で選んでもいいという価値観

3.義理の親は私の家族ではなく他人であるという価値観

4.世界中の誰一人も残さず私含むもれなく全員が、その人の不安の中で頑張って生きているという価値観

5.私も私の周りも、全てのものがいつも常に変化しているから、変化を恐れなくても大丈夫という価値観

見えなくても必ず変化しています

6.私はいつも、常に、この世界から存在を受け入れられているという価値観

当たり前に今の私でここにいていい

7.自分が感じたこと、プラスもマイナスも全て、何を感じてもいいし、外に出すことが許されているという価値観

8.世界中の人一人残らず私を含む全員が、自分のことを思いっきり大切にして愛していいという価値観

 

 

 

 

 

 

夫の家族は他人だった

私にとって夫の家族は他人だった、その事にずっと気づかなかった。

わたしにとって、家族ではなかった。

それなのに、家族だと思うようにしていた。

だから苦しかった。

私にとって家族とは一緒に過ごしてきた人、喧嘩もした人、くだらない事で笑いあった人、いろんな思い出がある人、

私の子供の時の家族と、今の子供達が私の家族で、

夫の家族は、私にとって他人だったのだ。

なのに、家族だと思おうとして、大切にしたり、意見を尊重したり、していた。

本当はイヤだったのだ、だって家族ではないのだから

心の中では、家族と思ってない人に家族と同じように接しなければいけないと思っていたから、それはそれは辛かった。

今日、はっきりとわかった。

私にとっては家族ではない事が。

そしてそれは、悪くもなく、冷たくもなく、ただそう思うだけなのだ。と

自分が思うことを否定してはいけない

人が思うことに私が違うとか思うなんて意味のわからない事である事

なぜそこにジャッジを下す必要がある?

人は何を、どう感じても良いのだ。

私も、他人も。

それを正しい、間違ってると判断するからおかしくなる。

誰だって否定なんてされたくない、どんな事を思ってたって、私が他人の思想を否定したり批判する権利なんてないし、私だって誰に何をいわれる筋合いなんてないのだ。

それは自分が勝ちたいだけ、自分の方が正しいと思いたいから、

上下の人間関係しか知らないから

別にそれをやってもいいけどね、

私は、上下で勝つより横で、関わりたい。

大切な人は特に。

横で関われば線をひける

線を引く事が怖くなくなる。

立場は違っても対等であることを、自分も他人も、忘れたくない。

 

何度も思い出す

あぁなぜあの決断をしてしまったのだろう、なぜもっとよく考えなかったのだろう。

大切だったのに、なぜ手放してしまったのだろう。

大切な人の意見だと思って尊重したかった、でも私より大切な人の意見なんてあったのだろうか。

そもそも大切な人だったのだろうか?

私が楽になりたいと思って選んだ人だっただけで、

この人と幸せになりたいと思ったんじゃないかもしれないと思った。

最初から、本質からズレていたんだと気づき、ショックを受けているのだ。

あぁなんて浅はかな、あんて頭の悪い、自分をとことん信じてない私なのだろうと思う。

自分に対する怒りとショックと悲しみと、いろんな感情に飲み込まれてしまう。

そんな状況に、私は今ある。

ショックなのだ、シンプルに。

私がこんなにもズルくて、頭が悪くて、何も考えてなく生きてきたことに。

何一つ、自分を大切にすることをしてきてないことに。その意識が低いことに。

なんて小さくて弱くて力のない私のまま、未熟な子供のまま、姿だけ大人になってしまったことに

 

もっと色々経験してくればよかった

逃げずに向き合えばよかった

自分を好きになる努力をすればよかった

 

めっちゃ悲観的な世界観を持っているのだ、私は。